本家本元のL Jとの出会い
私がこのL Jショーを開催するに至ったきっかけはロンドンにあります。1998年9月、私は舞台照明のフェアを視察するためにロンドンを訪れていました。その時に偶然見る機会を得たのが、L Jの国際コンテストだったのです。ロンドンの中心にあるピカデリー・サーカスに会場となったクラブ「ヒポドローム」はありました。クラブの扉を開けると、暗闇の中、各国の代表と観客が集まって何やら不思議な雰囲気が醸し出されております。
国際コンテストというタイトルですが、競う代表たちはオランダ、イギリス、ドイツ、フランス、イタリア、スペイン、ルクセンブルグ、ベルギーの8選手。出場者は音楽に合わせて光を操作します。例えれば、「光のフィギュアスケート」のようなものです。まず3分程度の課題曲、そして5分以内の自由曲で光を動かすのです。曲に合わせて技や芸術性を競い合うところといい、踊るような光の美しさといい、まさにフィギュアスケートの世界選手権を見ているようなイメージです。
中でも強く印象に残ったのは、自由曲で「白鳥の湖 第2幕」を選曲した出場者の演技です。あの有名なフレーズに乗せて、暗闇という湖の中に現れた一筋の光は、可憐なバレリーナのように舞台に登場し舞うのです。それはそれは素晴らしい“演技”だったのです。
それまで私が体験してきた日本のディスコは、とにかくギラギラと光が狂ったように回るだけで感動するようなことは全くありませんでしたので、「これは凄い!カッコイイ!絶対に日本にもやってくるに違いない」と確信したのでした。しかし、それから1年が過ぎ、日本に入ってくる気配もありません。ならば、「俺がやるしかない!」と奮起したということです。
自分らしさへの手ごたえをくれたL Jショー
実は1999年は、私が師匠のもとで照明デザイナーとなって10年目を迎えた年であり、同時に自分らしい光の可能性を探して、やみくもに新しいことに挑戦していた時期でもありました。そしてこのショーによって、私は自分のなかで「時間の中で変化する光のデザイン」という新しい照明のスタイルを確立したのです。

右側がDJヲノサトル氏、左端にいるのがL Jを務めた私です。光ファイバーと鏡で囲まれたステージで、音と光の競演を繰り広げました。 (撮影:東海林弘靖 )
光はもともと変化するのが普通で、オフィス照明のように朝から晩まで常に一定の明るさを保つことの方がおかしい、ゆったりとしたスピードで常に変化するのが自然なのだ・・・。このことの確信が持てたという出来事だったのです。
師匠のもとから独立し、「LIGHTDESIGN」を設立したのは、この翌年の2000年のことです。L Jショーは光の可能性を拓いただけでなく、私の個人史においても、非常に重要な位置を占めるイベントとなったのでした。
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